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【投稿・読切り】 最悪の悲劇


以下の短編は、

『時空モノガタリ』さんのテーマ『悲劇』に投稿した読切り作品となります。

 

 

■最悪の悲劇

 

 最悪の悲劇は突然やってくる、なんて言うが、「そりゃそうだろう」と思う。
 だって事前に判っていたら、対策をとる。
 対策をとれれば、『最悪』は避けられるだろう?
 避けられる筈だ。

 

 残業を終え、深夜遅くに帰って来た俺は、燃える我が家を無言で見上げる。
「…あ…あの。剛は…父や、母は…」
 我に返って、先程から何やら話しかけてきている近所のおじさんに、つっかえながら問いかけた。
「皆逃げて、逃げていますよね…?」
 確認するように訊くと、おじさんは「いや、それが」と顔を曇らせる。
「弟の剛君は逃げるには逃げられたみたいなんだが、どうやら彼が、火をつけたようなんだ」
 さっき警察に連れて行かれたと、声をつまらせた。
「それから、ご両親はどうやら……」
「どういう事なんですかッ!」
 声を荒げた俺に、「私もよくは判らない」とおじさんは慌てて首を横に振る。
「あ、すみません……」
 おじさんに罪はない。これは八つ当たりだ。
 謝れば、「警察が君を捜していたよ」と教えてくれた。
 今更ながら携帯を見れば、着信が何件か入っている。
 剛から4件。見知らぬ番号から5件。
 どうやら見知らぬ番号は、警察からのようだ。
「いつもサイレントモードにしてるから、気付かなかったんだ……」
 ――こんな時間に電話してくる奴がいるなんて、思いもしなかったし。
 独り言のように呟く。
 もう1度家を見上げれば、消防隊員の懸命な消火により、俺の家だけで火は食い止められたようだった。
「近所の家に燃え移らなくて良かった」
 微かな声で言うと、隣からはおじさんの哀れむような視線が向けられる。
 何も言葉が出て来なくて、おじさんに頭を下げて近くにいる警察官へと声をかけた。
「すみません。この家の住人です」
 一瞬目を見開いた警官は、「大丈夫ですか」と支えるように俺の腕を掴んだ。

 

 警察の話によると、剛が両親を刺し殺し、家に火をつけたのだと言う。
「ご両親に対して、以前から憎しみが芽生えていたとの事なんですが……」
 お心当たりありますか、と確認された。
「剛が就職に失敗して引き篭るようになって、両親はそれを心配していました」
 将来について、言い争う事も確かにありましたけど……。
 でもこんな、と首を振った俺に、「最近何か、前触れのような事はありませんでしたか」と警察は質問を重ねた。
「弟がこの前、俺になるべく早く帰ってきてくれって言ってきました。理由を聞いても、何も言わなかったんですけど……。ですが俺も、年末で仕事の方も忙しくて……」
 どうしようもなかったんです、と頭を抱える。
「あ、それと」
 顔を上げた俺は、声を落とした。
「飼ってた犬が……もう老犬だったんですけど。2週間前突然姿を消しました。いなくなってから数日後に、川で死体で見つかって……」
「そうですか。それももしかしたらですが、弟さんが関係しているかもしれませんね」
 何やら書き込んで、警察は声を和らげる。
「どこか、泊まれる場所はありますか?」
「ええ。彼女の所に……」
 弟には会えますか、と尋ねれば、「すみませんが」と断られた。
「ジョンの時に、その重大さに気付いていれば」
 ジョン? と訊き返して犬の事だと気付いた警察は、「ああいや、まだ判りませんが」とその関連性については濁した。
「ご迷惑をおかけします」
 頭を下げて、警察署を後にした時は、もう夜明け近かった。

 

 ――ジョンを知らないか?

 

 あの夜。
 剛の部屋のドアを開け訊いた俺に、弟は椅子を回転させて振り返った。
「知らないよ」
 メガネを押し上げた手の袖口に、茶色い毛がたくさん付いていた。
「父さん、母さん! ジョン見なかった?」
 慌てて階段を駆け下り、リビングにいた両親にも尋ねた。
「は? 何を言ってる! 老いぼれ犬の事なんて今はどうだっていいだろう!」
「そんな事より、お父さんとも話し合ってたんだけど、剛をどうにかしないと! 近所でも噂になってて恥ずかしいわッ」

 

 どうだっていい?
 そんな事より?

 

 2人がそう言った命が、何より大事な事を教えようとしていたのだ。
 その事に2人が気付いていたら、こんな結末にはならなかった。
「兄さん、なるべく早く帰ってきてくれない? じゃないと、そのうち俺……」
 俺が子供の頃から可愛がっていたジョンの命の重さを、剛も気付く事さえできていたなら――。

「ああ、明美? 悪いな、こんな時間に押しかける事になってしまって。……ありがとう。そうだな。そこはまだ良かったよ。『たまたま』お前の家にパソコンや着替えを幾つか置いておいて」
 俺の代わりに泣きじゃくる、電話の向こうの恋人を慰める。

 

 最悪の悲劇は、突然やってくる。

 

 そうだな。そうさ。
 だからきっと、きっとこれは――。